24Oダイアリー

旅行の記録

4.14-15 遺跡と自然と、時々戦車@ナゴルノ=カラバフ

4.14

8時にステパナケルト行きのバス(5000ドラム)(1100円)が出るとネットで見たので早めに宿を出た。全然マルシュルートカが来ないのでタクシーと交渉しバスターミナルへ。確認すると8時半発だったので急いだ意味はなかった。

とりあえず朝ごはんに肉入りピロシキと甘いピロシキ

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先日も(たぶん)述べたがナゴルノ=カラバフ(アルツァフ)は国際的には一応アゼルバイジャン領であるものの、アルメニア人が実効支配し独立宣言までしている地域だ。国旗はこちら。
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5時間ほどで国境に着きパスポートチェック。アルメニア人はフリーパスだ。
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7時間ほどでステパナケルトに到着。途中から山道のヘアピンカーブばかりで酔ってしまった。バスを降りると歩いている警官や軍人の数がやたらと多いのが目につく。有事に備えているのだろう。

宿は評判が良く安いR&Kホステルにした。少し休んでから同室のボリス(スイス人)と散策へ。ナゴルノ=カラバフの国旗を付けた飛行機が飛んでいた。街中にも国境のポスターがずらりと並んでいる。
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ステパナケルトのランドマーク「We are our mountain」。名詞じゃなくて文章になっちゃってるやん。山じゃなくてちっさい丘やん。
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おじいさんとおばあさんをかたどった石像らしい。領土紛争が起きる前のソ連時代のもののようだ。
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夜ご飯はボリスとTashir pizzaで大きめのピザをシェア。ここにも出店してるんだなと少し驚いた。

宿の近くからの景色。ステパナケルトは一応ナゴルノ=カラバフの首都だが、自然が美しい小さな田舎町である。
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宿のバルコニーでボリスとオーストラリア人のおじいちゃんマイケルと話していると猫が膝に乗ってきた。かわいい。
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4.15

おばちゃんが「中国人にもらったこれ淹れてあげる」とお〜いお茶ティーバッグで緑茶を作ってくれた。うまい。またハルヴァ(穀物とか胡麻を油と砂糖で固めたお菓子)もめちゃくちゃうまい。

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今日は宿のおばちゃんの紹介で来たタクシーをボリスとマイケル爺とチャーターして観光することにした。ナゴルノ=カラバフはあまり交通機関が発達しておらずバスでの観光は難しいところが多い。ナゴルノ=カラバフは起伏に富んだ地形で車窓からの景色も楽しむことができる。

まずはガンザサール修道院へ。
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丘の上にどっしりと立つイケメンな修道院だ。
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ゲガルトでも見たようなキモかわいい動物
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ハチュカルもだがアルメニアの十字架デザインは非常にクールだと思う
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内部はやはりシンプルでがらんとしている。
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修道院からの眺めも実に美しかった
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ドライバーが廃れたリゾート地のようなところに連れて行ってくれた。

ライオン

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寂れたホテル
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セクシーな彫刻

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船形レストラン
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アスケランの砦跡。ちょっとしょぼかったかな。
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ドライバーがランチ休憩を取ってくれなかったのでマイケル爺がストックしていたドライフルーツをくれた。
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途中でアゼルバイジャンとの前線となったアグダムの近く(といっても数km先だが)を通過。半壊した廃墟が立ち並んでいるさまは衝撃的だった。1992年にここらへんで激しい戦闘があったらしく、今は立ち入り及び撮影禁止となっているようだ。車窓から撮るのもダメらしい。

 

ティグラナケルト。かつてここを治めていた王の宮殿跡だ。きちんと形が残っているものは少ないが、敷地はかなり広かった。
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帰り道では戦車を載せたトラック2台とすれ違った。軍人を乗せた車はひっきりなしに往来しているし、打ち捨てられた戦車が草原に佇んでいる所もある。

車窓からは軍事演習場が見えた

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そうしてステパナケルトに帰還。5時間くらいチャーターして1グループ2万ドラムなら悪くない値段だったと思う。

マイケル爺とボリスと遅めの昼ごはん。
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ハンギャル(幅広パスタにひき肉とヨーグルト載せたやつ)
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パフラヴァ(めちゃくちゃ美味しいデザート)
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宿に戻るボリスとマイケル爺と別れ、ステパナケルトのバス停から隣町シュシへ。かつてはアゼルバイジャン人とアルメニア人が共存する芸術の街だったが、領土紛争でアゼルバイジャン人は追い出されて難民となり、廃墟が今も立ち並んでいるという街だ。

山を登っていくのでバスからの景色はなかなか良い
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ここもまたのどかで平和な街だが、確かに半壊した廃墟が散見される。人口が少なそうなのでおそらく立て直したり壊したりする方が面倒なのだろう。
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外国人が珍しいのか「ハロー」とか「ワッツユアネーム?」と声をかけてくる子どもが多かった。

 

写真を撮り忘れたがモスクもあり、アゼルバイジャン人がいたのだろうと感じさせる。

シュシの周りも山が多い

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もちろん教会もある。

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ここの教会は小さくシンプルだったがステンドグラスが非常に美しかった。
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大聖堂
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ステパナケルトに戻り夜ご飯にシャウルマ。
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宿のバルコニーでみんなと話していると花火が上がった
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エレバンから遊びに来たという女の子が「ここはアルメニアの一部だよ。住んでるのはアルメニア人だし公用語アルメニア語だしお金はアルメニアドラムだし。昔ここらへんを治めてた王様もアルメニア人だったんだよ。アルメニア は昔はもっともっと広くてパワーがあったんだ」と熱弁していたのが印象的だった。