24Oダイアリー

旅行の記録

6.5 放射能の地獄@チェルノブイリ

朝6時半に起きて朝ごはんにモルドバで買ったインスタント麺。1袋12円だったので期待はしていなかったがまあまあ美味しい。

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今日はチェルノブイリツアーだ。先日も述べたがチェルノブイリはツアーに参加すれば簡単に行くことが出来る。この時期は最安でも99ドルするが、、、

少し躊躇ったがここは惜しんではいけないと思い参加を決意したという次第である。

 

集合場所に行くと今日の行程が書かれたマップをもらった。チェルノブイリから30kmと10kmの地点にそれぞれチェックポイントがある。
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2時間ほどで30km地点のチェックポイントに到着。ここからはexclusive zoneだ。パスポートチェックのあとeチケットをもらう。

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注意事項がいくつか書かれている。例えば、

・地面に荷物を置いたり座ったりしてはいけない(土が汚染されているため)

・外での飲食禁止(汚染されたダストを体内に入れてしまうおそれがあるため)

・外では長袖長ズボンを着用すること

などである。

 

ガイドがガイガーカウンターを時々見せてくれるのだが、キエフは0.13マイクロシーベルト/時だった。0.3以下なら自然界の正常値だそうである。

30kmのチェックポイントでは0.15μSv/hとキエフとほとんど変わらない。

 


まずはZalissya村。exclusive zone内の集落は1986年のチェルノブイリ事故からずっと手付かずになっているため、木々が生い茂り廃墟となっている。ただ当時は何回追い出されても故郷に戻ってくる人も多かったそうだ。今もexclusive zone内に80-90代の元住民が少しだけ住んでいるという。毎年1日だけ元住民への開放日があり、今年は7000人が来たらしい。

 

生活洋品店
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割れたガラスが散乱している
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どの集落も盗賊が金目のものは持ち出しているため、物はあまり多くない。つまり放射線で汚染された物品がそうと知られずに今もまだ出回っている可能性があるということだ。

 

床が抜けたり脆くなっているところも多々ある
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ソ連の機関紙プラウダも落ちていた
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この家だけはなぜか盗難を免れ、当時の生活をうかがうことができる
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食器類やタペストリーが残っていた
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10km地点のチェックポイントを超えレーダー基地へ。ここはシークレットタウンであり、看板には「止まらないと撃つ」と書かれている。
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アメリカからのミサイルを早期に検知するためのレーダーだ。かなり大きい。当時は天気予報のレーダーだと説明されていたそうだ
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レーダーを見ているとガイガーカウンターが鳴り出した。0.3μSv/h以上、すなわち自然な値を超えると鳴り出す仕組みになっている。

 

レーダーの横にはかつての基地がある。ここは本当は立ち入り禁止だがガイドがこっそり案内してくれた。この後も「今からルールを破るから静かにしてね」と言いいくつか立ち入り禁止の場所に入れてくれることになる。
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レーダーからのデータを処理するスパコンの残骸。もちろん金になりそうな部分は持ち去られている
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レーダーの使い方を教える教室。壁にはアメリカのミサイルに関してソ連が持っている情報などが書かれている

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ホットスポットがあるKopachi村。ガイドがホットスポットガイガーカウンターを近付けると11から15あたりの値を指していた。
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立ち上がって土から離すと1.5μSv/h程度に落ち着いた。

 

このホットスポットの横には幼稚園がある。ガイガーカウンターが鳴り響く幼稚園とは恐ろしいものである。
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さらに車を走らせるとチェルノブイリ原発が見えてきた。左のカマボコ型の構造物で覆われているのが事故を起こした4号機、その右隣が3号機、さらに右にある黒い四角が1号機と2号機である。
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3号機は2000年まで稼働していたが、今は全てストップしている。

 

昼ごはんを食べにみんなで食堂に入る。
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俺はオーダーしていないので持ってきたベーコンとサーロとパン。5ドルくらいだったが割とちゃんとした昼ごはんが出ていたので頼んでおけばよかったと少し後悔。
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昼ごはんのあとは原発に近付く。
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2年半前にこの新しいシェルターで囲われてからは、4号機付近の放射線量は3-4分の1になったそうだ。飛距離は短いが威力の高いガンマ線を遮蔽できたからだそうである。このシェルターは耐用年数が100年なので、97年後までにまた何か新しい策を打たないといけないと言っていた。

ここでの放射線量は0.9μSv/h。キエフの7倍程度だが、ホットスポットのあたりに比べると少ない。

 

原発から数キロ離れたプリピャチは職員などが住んでいた街だ。
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ここもかなり汚染されてしまっている。
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プリピャチはかなり優遇されていた街らしく、普通の街が物不足で困っていた時もここはきちんと物資が揃っており住居も大きかったそうだ。

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ソ連の水の自動販売
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学校
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崩壊してしまった部分もある

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補修などは何もしていないためいずれは全ての建物が崩れてしまうが、広島の原爆ドームのようにいくつかは博物館のようにして残しておこうという話が持ち上がっているそうだ

 

かつての大通りは木々に侵食され狭くなり今や見る影もない
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ちなみにキツネや犬など動物は増えたそうだ。人間が消えた後の世界はこういう風に変わっていくのだろうかなどと考えさせられる。

 

スーパーマーケット
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開業5日前に事故が起きたためオープンすることのなかった遊園地。アトラクションは今や激しく汚染されている。

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観覧車のホットスポットは250μSv/h以上、すなわちキエフの2000倍ほどの放射線量である。このゴンドラ表面の一部分の半径数センチだけの話ではあるが。
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フェンスを突き破って伸びた樹木
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サッカースタジアム
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事故後に建てられた、事故の収束のために闘った人たちのモニュメント
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チェルノブイリ村の入り口
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10時から18時までの8時間exclusive zoneに滞在したが、総被曝量は2μSvだった。キエフに8時間いた時の被曝量のだいたい2倍だ。
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キエフに戻り、夜ご飯はもちろんPuzata hata。柔らかいハンバーグのような料理、ボルシチ、パンプーシュカ、茹でたジャガイモだ。
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夜行列車に乗りリヴネに向かう。
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電車はなかなか綺麗で快適だった。少しベッドが狭いけど。
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