24Oダイアリー

旅行の記録

3.3 ウズベキスタンで初日から騙されるの巻@フェルガナ

3.3

キルギス最後の食事はショルポとナンとチャイ。ここのショルポは少し味が濃くて肉じゃがみたいだった。旨し。これで180ソム。

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オシュからはマルシュルートカで20分ほどでウズベキスタン国境に着く。

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余ったキルギスソムをウズベキスタンソムに替えると、3000円程でなかなかの札束に。この厚さのせいで後で痛い目にあうことになるのだが、、、

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旅行者は地元民とは違う通路でサクッと出国審査に進める。ディズニーランドのファストパスみたいだ。

 

出国後に歩いて国境を超え、ウズベキスタンに入る。入国管理官が「スミマセン、コッチ来テクダサイ」と俺を呼ぶ。耳を疑ったが日本語だった。ここでも旅行者は優先的に審査を受けられるらしい。滞在予定の場所などを日本語でやり取りしたが、日本語が話せるのが嬉しいのか絶対入国審査に関係ないだろって話もしてきた。

身体検査官も英語で頑張って話しかけてきた。噂で聞いていたがウズベキスタン人はフレンドリーのようだ。

 

国境から乗合タクシーでフェルガナへ。80000ソム(1ドル=8300ソム)だ。ぼったくられていないかどうか知るために価格を同乗客に確認したがフェアプライスだという。後から調べたらちょっと高い気がするが、、、

 

国境から2時間ほどでフェルガナに到着。ブッキングドットコムで調べていた最安値(12ドル)のホテルに行ったものの誰も出ず開いていなかったので2番目に安いホテルへ。素泊まり17ドル。ウズベキスタンの宿たっけえ。

だいたいどの都市でも最安値は10ドル程度らしい。なかなかつらい国である。

 

フェルガナはだいぶ都会だった。

しかしなぜか寒々しい印象を受ける。道路が広いのに全然車が走ってないからなのか、四角い単調な建物が多いからなのか、、、

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昼ごはんにはケバブライスっぽいやつ。

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21000ソムとリーズナブルだった。米にはコーンが入ってるのかと思ったら葡萄だ。意外とこれがうまい。インドのパルシー料理店で食べた米にレーズンが入った料理が美味しかったのを思い出す。ペルシャにルーツを持つインド人はパルシーと呼ばれ、最近話題のクイーンのフレディマーキュリーもたしかパルシー人だ。

↓パルシー料理店のレーズンと米のやつ。中には羊肉が入っていて混ぜて食べる

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明日のタシケント行きの電車のチケットを買うためにマルギランに向かう。マルシュルートカが出るバザールに向かうと闇両替商に声をかけられた。

 

つい最近までウズベキスタンでは公定レートと闇レート(実際の市場レート)に3倍程度の差があったため現金を闇両替するのが一般的だったが、最近は公定レートが闇レートに合わせる形で改善したらしい。

 

ちょうどソムが欲しかったので交渉すると、100ドルなら1ドル8600ソムで替えてくれるというので即決した。ネットで見るレートは1ドル8300ソム程度だが、まだ公定レートと闇レートにある程度の差があるのかと考えたのだ。これが間違いの元だったのだが、、、

 

100ドル札を渡すとソムの札束を適当にドンと渡される。5000ソム札で86万ソムにするわけだから相当な量である。数えるのも一苦労だ。

40万ソムまで数え終わったところで持ち切れなくなって両替商に渡す。

残りの46万ソムを数え終わり、渡してあった40万ソムを返してもらって別れる。

 

俺が数えた額が合っているかも確認されず、うまくいきすぎではないかと思い確認すると62万ソムしかない。24万ソム抜かれている。

やられた、、、なぜ40万ソムを渡してしまったのか、、、そもそも先に100ドル札を渡したのも悪手だし、一度に100ドル替えたら数えるのが大変なのは明白だ。完全に俺のミスである。

たぶん40万ソムを渡していなかったとしても「俺が確認する番だ」とか適当なことを言われて渡すことになっていたんだろうしどうしようもなかったと自分に言い聞かせる。

ただインドにいたら絶対もっと警戒していたはずである。キルギスで平和ボケしてしまったようだ。

 

実際のレートからすると損したのは20万ソム、だいたい2500円程度だが精神的ダメージは大きい。全く何をしているんだ、、、

 

ちなみに公定レートが改定されてからは闇両替商の取り締まりが強化されているらしい。皆さまお気をつけください。

 

まあ起きてしまったことは仕方がないので、授業料だと思い切り替えてマルギランに向かった。

駅で確認すると明日のチケットは朝7時の便しか残ってないと言う。明日はマルギランで行きたいところがあるのでそれは無理だ。カウンターの人は英語が通じないので交渉の余地も他の交通手段の相談もできない。

 

困っていると韓国人旅行者とウズベキスタン人ドライバーのグループがタシケント行きの乗合タクシーの存在を教えてくれた。韓国人はもう駅から電車に乗るが、ドライバーがタクシー乗り場の場所を教えてくれると言うので乗り込んだ。

ここだよ、と教えてもらい礼を言ってフェルガナに戻るマルシュルートカに乗ろうとすると「どうせフェルガナまで帰るから乗せてくよ」とのこと。人によって荒んだ心を癒すのもまた人なのである。これどっかでも思ったな。あ、ジャイサルメールだ。

 

フェルガナに戻りバザールをほっつき歩く。ここはとても賑わっていて、街中の寒々しい印象も全く感じられない。

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魚がたくさん売っていたのが印象的だった。二重内陸国だから淡水魚だろう。

やはりバザールは面白い。

 

宿への帰り道の路上でおっさんが売っていたソ連のピンバッジに一目惚れして3000ソムで購入。コインなども売っていた。

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1917はロシア革命の年、ソ連国旗にも大きく描かれているハンマーと鎌は労働者の象徴だ。(NHKスペシャルの受け売り)

 

夜ご飯は地元民で賑わう小綺麗なカフェでシャシリーク。中央アジア一帯の料理だが食べるのは初めてだ。食べ応えがあって美味しかった。

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