1.26-27 インパール・コヒマ
来た道をひたすら戻ってインパールへ向かう。
敬体がめんどくさくなってきたのでこれからは常体で書くことにした。
そういえば前の記事に書き忘れたけど、TWICEにいそうな可愛い人がコヒマでアマチュアカメラマンっぽい人と軽めの撮影中だったので、隙を見て厚かましくも写真を撮ってもらった。
話してみるとどうやらミスナガランドっぽい感じの人だったようだ。
ナガランドってのはコヒマのある州で、コヒマはナガランドの州都である。ちなみにインパールはマニプール州の州都である。
正確にはミスナガランドではみたいだが、とりあえずここらへんの何かのミスコン優勝者らしい。
ナガランドの女性は韓国っぽい感じの人が多々いて、この人たちも一応インド人なんだな〜と不思議な感じを受ける。
北東の人はインドへの帰属意識が低いそうだけれど、これだけ文化や人の違いを見るとそれもそうだよな、、
あとこれも書き忘れたが車が軽く後ろから追突された。
出て来たのはアーリア系のインド人で、「まあそうでしょうな」って感じである。北東の人たちは普通のインドの人に比べると運転が大人しい(気がする)からだ。
彼らは「俺らは謝る用意ができてる!だから1000ルピーで手を打とう!」と厚かましくものたまっていた。
用意ができてるって何だよ。こっちが急ブレーキ踏んだわけでもないんだからそこまで言うなら素直に謝れよ。
ドライバーと俺らが「いや、この車借り物だし(これは本当)ここ凹んでるから(これも本当)修理しなきゃいけない(これは怪しい)。3000ルピー出せ(これが妥当な価格かはわからない)」
インドでは3000ルピーで車が修理できるのだろうか。もしかしたら修理せずにしれっと返却してドライバーの懐に入るのかもしれない。
1000、いや3000との押し問答が続き、結局向こうが折れて3000ルピーを手に入れた。
ドライバーと俺たちの結束力が強まった気がした。
この3000ルピーがどうなったかは謎のままである。
インパールに着くと、リパブリックデーだから1番高いホテルしか開いてないぞとドライバーに言われ(本当かどうかは謎)、おそるおそるフロントで値段を聞くと3人で5500ルピーとのこと。
値切ってみたら4000まであっさり下がりそれなら泊まるわって言うと、しまいには「4000でいい?もうちょい安くできるよ?」と言われて逆に戸惑ってしまった。
4000で泊まる予定だったのにそんなこと言われたらもっと安くしてほしくなるやん。そっちが損するだけやん。
デリーとかなら絶対あとでチップとかすげえ要求されたりするよな〜怪しすぎるな〜〜でも北東のやつらいいやつばっかだしな〜〜とりあえずチェックアウトでいくら請求されるか楽しみにしておこうと思いチェックイン。
リパブリックデーだからホテルのレストランくらいしかご飯を食べれるところがなく(またかよ)、夕飯を食べに入ると日本人が!!!
話しかけてみると、なんと元Jリーガーで現在はインパールのプロサッカーチームでプレーしている遊佐克美さんというお方であった。
広島がユースで全国優勝した時のキャプテンらしい、、、世代別日本代表呼ばれてたっぽいし、、、槙野智章を槙野くんって呼んでたし、、、半端ないって、、、
2時間くらいお話させていただいたが、とてもカッコよくて良い方であった。
インドのサッカー事情等も聞けて面白かった。
インドのサッカー、キてますよ。
10時くらいに夜の散歩をしていると、地元の若者たちから「今日はリパブリックデーだからあんまり夜に出歩いてると北東を独立させたい過激派の何かに巻き込まれるかもよ、あくまで可能性の話だけど」と軽く諌められた。
小心者の僕たちはその言葉を聞くやいなや踵を返してホテルに向かう。
リパブリックデーはどこまで俺たちのジャマをするんだ、、、
先述した通り北東はインドへの帰属意識が低く、インパール作戦の折には日本軍が勝ったらインドから独立させると約束しここらへんの人たちの協力を得ていたという。(ボロ負けしたから実現しなかったけど)
なのでマニプールやナガランドにはインドからの独立を掲げる過激派がいたりするらしいのだ。
若者たちに諌められた場所。ここだけイルミネーションがたくさんあって若者たちがたくさん歩いていた
北東は店が閉まるのが早く、リパブリックデーとか御構い無しに18-20時くらいにはほとんどの店が閉まる。
暗闇の中、遊佐さんの所属するチームのホームグラウンドを通り過ぎる。
毎回1万〜1万5000人は来るというだけあってなかなか立派だった。
最終日はバイクを2台借りてインパール散策。
僕は二輪免許も国際免許も持ってないので残念ながら運転はできず。
結局ホテルのチェックアウトの時には3500しか請求されなかった。北東最高かよ。勝手に4000からさらに下げてくれちゃったよ。
レッドヒルは日本兵の血で丘が赤く染まったことからこの名が付いたと言われている。恐ろしい、、、
その麓に慰霊碑が建っている
日本軍の武器
「昭和」「大阪」等の文字が読み取れる
インパールに来るにあたってインパール作戦に関する色んなドキュメンタリーを見たり記事を読んだりしていたが、実際に来てみると何ともやるせない気持ちになる。
まずは無能な上司に振り回された兵士たちの冥福をお祈りした。
平和への祈念が高まる場所であった。
レッドヒルの後はイママーケットへ。
イマはマニプリ語でお母さんという意味らしく、その言葉通り女性だらけの市場だ。
夫を亡くした人や夫の稼ぎが少ない女性たちで始めたそうだが、今では組合の力が強く男はここで商売をできないらしい。
そういえばナガランドもマニプールも全体的に通行人に占める女性の割合が高い気がする。
デリーとかだとけっこう男が多い気がするが、北東はほぼ半々だ。
女性の力が比較的強い地域なのかもしれない。
イママーケットには様々なものが売っている
魚とか野菜とか
壺とか
干物とか(試食したら味がほぼ煮干しでおいしい)
足踏みミシンで服作ってたり
東インド会社の1818年のコインとか
スティッキーライスとか
納豆とか!!!
北東インドではインド米以外にスティッキーライス(日本米みたいに粘り気が強い米)を食べる。(地域によって食べる頻度は変わるらしい)
またマニプールに至っては納豆があるのだ!!!!!!
ハワイアジャールみたいな名前で、バナナの葉にくるまれた豆である。匂いも味もほぼ納豆。不思議だ、、、うまい、、、
こんなとこで日本とそっくりな料理があるとは、、、
現地の人は唐辛子の粉とか入れて食べるらしい。
昼ごはんにはマニプリカレー(魚)を。北インドのカレーとは違った味でこれもまた旨し。
てな感じであとはバイク返してインパール空港行ってデリーに帰っておしまい!(唐突)